運命と寿命──人はいつから“死”を意識するようになったのか
こんにちは。今日は少し重たい話題かもしれませんが、私が日頃から感じていることをお話ししたいと思います。
ニュースを見ていると、毎日のように目にする幼い子どもの虐待死や、事件・事故で命を落としたという悲しい報道があります。
さらに、遠くの国では栄養失調や感染症などで、幼い命が失われるという現実もあります。
そうした報道を目にするたびに、「この子の寿命だったのか」「これは運命だったのか」という言葉を耳にします。
でも、本当にそうなんでしょうか。これは人間だけが考える感情や概念なのかもしれない、そんなふうにふと思ったのです。
彼らは果たして「死」や「運命」「寿命」といったものを意識しているのだろうか。
そして、人間は一体いつから「命の終わり」や「それが運命だ」と考えるようになったのだろうか。
こうした問いに明確な答えは出せないかもしれませんが、ふとした瞬間に湧き上がるこの感情は、
人間であるからこその“内なる問い”なのだと思います。
そして今回、この思いを「歌」にしてみたいと思い、AIに歌詞をつくってもらいました。
以下にその歌詞を掲載します。
歌詞:「運命(さだめ)を知る前に」
うまれてすぐ そらをしらず
こわれたこえだけ かぜにきえる
だれも選べぬ 始まりの地で
笑うことも 知らずにいた
さだめって何? 寿命って何?
答えを知るには 早すぎた
この世界に 問いかけるだけ
なぜ命は 平等じゃないの?
猿もゴリラも 星を知らず
痛みも夢も 言葉にできず
だけど瞳に 宿るものが
どこかで 僕らと似てる気がした
進化って何? 知恵って何?
傷つくだけの 未来なのか
知ることで 苦しむのなら
無知のままで いた方がいい?
小さな手が 届く前に
閉ざされた扉 開けぬまま
守るはずの 大人の手に
奪われていく 始まらぬ明日
運命って誰が決めるの?
寿命って本当に定めなの?
理由のない 終わりの前に
せめて光を 照らせたなら
僕もいつか 終わるけれど
答えは出ないまま 眠るだけ
でも願うよ 命の意味を
知ることなく 終わる子のため
さだめを超え つないでいこう
声なき声も 抱きしめて
この世界が 答えにならずとも
歌が 誰かの灯火(あかり)になればいい
最後までお読みいただき、ありがとうございました。